EDDYの日記特別編

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1999.05.20 終了

1999.05.06 色々挑戦するぜ!
 EDDYの日記、スペシャル!今回はなんとオランダ航空KL862便の中で編集中。 え?...ということは? そう。買っちまったぜぃ、ちっこいパピコン。海外出張に出掛ける17時間前に購入。我ながらアホかと思うが、ちょっと仕事の関係で、この際やっておきたいことがいくつかあるのだ。まず一つは、ローミングサービスによる海外でのインターネット接続。これはホテルのことなどを調べる暇が全然なくて、行き当たりばったり。行ってみて電話がつなげなければ、もう諦めるしかない。といっても240V〜100Vの変圧器や、コンセント変換プラグ、電話のローゼットの変換アダプタなどは全て揃えたし、行く先の国々を含む全60ヶ国で動作確認が取れている高速56kbpsモデムも用意してある。アプリケーションもワード、エクセルにはじまり、フォトショップ、イラストレータ、ホームページビルダー、ATOKをインストール、インターネットエクスプローラも4.01SP2にバージョンアップしてある。入れれば良いってもんじゃないわけだから、ちゃんと普段使っている環境を整えてあるし、メールやアドレス帳もミラーリングした。ご覧の通り、WEBのページもね。キャリングポーチや電源の延長ケーブル、電話線の延長コネクタも抜かりなし。メモリに至っては勢いで96MB(目一杯です)積んじゃった。3時間で準備したにしちゃ上出来だろ。出来る人には簡単なんだろうけどな。いくら掛かったのか、それはもう誰にも分からな ...いや、カード会社は知ってるな、多分。(「絶対」知ってるだろー>俺。)
1999.05.08 いきなり2日後
 というところまで書いたところで、いきなり準備不足が露呈。バッテリ切れでした。とってもお間抜け。フライト時間が11時間30分もあるのに持ってきたのは標準バッテリ1個。これじゃ持たないよねぇ、確かに。カタログ値でも2.5時間なんだもの。フライト直前にメールを送受信するのに約5分(この間、56kbpsモデム駆動)、このページに来るときに見てもらったでっかいアニメーションボタンと、このページのバナーを作るのに約1時間、それから上のコマ(1999.05.06分)を書き上げるのに約30分。で、合計約1時間35分。バッテリの持ちがずいぶんカタログ値と違うと思うでしょ?俺もそう思って、実験してみたのよ。そしたらさ、モデムさえ使わなければちゃんと2.5時間持つんだよね。「モデム、電気ばか喰いか!?」ってタイトルがスポーツ新聞の見出しに踊っちゃうよ、これじゃ。これだもん、最近「省電力モデム」などと書いてあるものがもてはやされるわけだよなぁ。俺のモデムは「60ヶ国対応」としか書いてないから恐らくめちゃくちゃ電気喰ってるんだろうなぁ。 ...さて、バッテリ&モデム周りの話はこれくらいにしよう。このタイミングまでアップ出来なかったと言うことは、つまり通信環境にも問題があったわけで ...。前回(上ね)書いた通り、コネクタやモデム関係は完璧に揃えた、つもりだった。ところが、である。考えてみたら、ホテルの部屋というのは直接外線に繋がっていないのが普通である。PBXと呼ばれる機械(内線交換機)を通って外部に出る。単純に電話で話すだけなら最初に「0(ゼロ)」を押す、ただそれだけだ。しかし通信をするとなると、まずモデムさんを繋がなきゃいけない。ここが問題であった。PBX信号(回線)変換用の機器を用意していなかった ...。しかもオランダ電話局仕様とは、コネクタまで全然違うのよね ...。つまり、「ホテル仕様」なのである。具体的には「RJ45」といって、10BASE−T(LAN)やアメリカの電話で使われているコネクタである。オマケに街角の公衆電話は、日本と違って由緒正しい「電話器」である。どこにも直接電話会社の電線が露出していない。あ〜、色んなところで聞いてはいたけど、日本は「モバイル王国」なんだということが初めて体感できた、良かった良かった。という話ではないのだよ。困ったことなのだよ、これは。当初PCを携帯しようと思った理由は、なにもコラムを飛行機の中で書きたかったからではない。飛行機の空席状況から出発の日取りが2日間前倒しになり、そのためやり残した仕事が日本にある。そこで海外からインターネットを経由して会社のPCを遠隔操作し、残りの仕事を処理しよう、という目論見(もくろみ)である。我ながら大胆である。その仕事を頼んだ人物には言えないような状況である。がしかし、んがぁ〜しかし、である。「為さねば成らぬ何事も。」と言うではないか。「俺がやらねば誰がやる。」とも言うよな?ちょっと種類が違う気がするが。つまりこのPCを購入したのは仕事が終わらないまま海外へ出る必然性があったからであり、何を書いているのか自分でも良く分からないのであり、(実は今、高度約1万メーターの上空でワインを飲んだもんで猛烈な勢いで酔っぱらっている。申し訳ない。)とにかく昨日も今日も歩きに歩いてくたくたであるので、続きはまた明日ということにさせてもらう。では、アロハ〜!on board for Arlanda
1999.05.09 復活
 やっと酔いが醒めた。現在、ストックホルムのホテル「BIRGER JARL」(読めたら偉い!)の一室。ところで話は変わるが、いま使っている変圧器は、以前タイに行ったときに購入した物だが、昨日の朝アムステルダムのホテルでコンセントが足りなくなって色々と調べていたら気が付いたことがある。DVカメラの充電器は実はワールドワイド(100〜240V)対応だった。前回気が付いていたら変圧器は買わなかったかも知れないので、怪我の功名とも言える。が、さっきまた気が付いた。 PCのACアダプタも240Vまでちゃんと対応していた。つまり前回に引き続き今回も変圧器は要らなかったみたいだ。ちぇ。
 さて、電源周りの話で2日間も引っぱってしまったが、未だオランダの話が出てこない。実はまだ日本にいるんです。というボケをかますことが許されるほどの元気も地位もないので、そろそろ紹介しよう。先に伝えておく。みなさんのイメージしているオランダと、僕の感じてきたオランダは、多分全然違う。風車なんか一つも見ていないし、レンブラントもゴッホも知らない。チューリップは季節が過ぎていたし、木靴を履いている奴にも会っていない。
 僕にとってのオランダ、特にアムステルダムはものすごい人種の坩堝である。世界中のありとあらゆる肌の人が居る。白、黒、黄色、赤、茶色。も一つついでに群青色、はさすがにいないか。すんまそん。そして観光客もものすごく多いので、もう誰がどこの国の人なんだかさっぱり分からない。なるほど、発つ前に「アムステルダムでは英語で話せばたいてい通じる」ということを知ったが、その理由はここにあったのだ。知らない人に声を掛けるのに、何語で話せばいいか分からないから、とりあえず英語で話しかけるのである。もちろん、オランダ人はそれぞれお互いを認識しているようであったが。
 それからトラム。これは路面電車だが、乗り方はいわゆる路線バスと同じと思って良い。停留所には、その道を通る複数のトラムが来る。それぞれルートが決まっていて、ルートが重なっているものは同じ停留所を使うのである。待っていると向こうから走ってくるので、乗りたければ手を挙げる。乗って、切符を運転手から買うか、回数券だったら機械でスタンプを押し、周遊券(1日券)なら最初だけ車掌に日付を入れてもらう。周遊券はその後はもちろん何もしないで乗り降り自由になる。降りるときには、その停留所の前にボタンを押す。誰も押さなくて、停留所から乗る人もいなければそのまま通過する。ここまで一緒。唯一違うのは降りるとき。ドアは自分で開ける。これは電車もそう。地下鉄も同じ。バスだけが自動ドア。このトラムだが、慣れると実に快適。乗り心地は最悪だし、耳を塞ぐような騒音を発して走るが、本数とルートが多いので、切符さえあればどこでも最短時間で行ける感じ。なんというか、通りかかったクルマの荷台に、ひょいと掴まって連れてってもらうような、そういうイメージが近いと思う。市内を通るルートは全部で約25本。ルート表を見ると59という番号があるので、そこまであるのかも知れない。だが市内の案内図には乗っていないので詳細は不明である。
 それから自転車。とにかく自転車が多い。北京に次いで第二位か?というのは冗談だが、自転車はホントに多い。朝なんかアムステルダムの駅前は自転車だらけである。道も完全に車道、歩道と自転車道(?)に分かれていて、うっかり自転車通路の中をうろうろ歩いていると、後ろから「どけどけ〜!ちりんちりん」とやられる。あまりに自転車が多いので、電車にも普通に乗れる。もちろん追加料金は必要だし、ラッシュアワーはダメみたいだけど、どの電車にでも乗れるというだけですごい。アムスっ子はトラムと自転車で行動するのでした。
 次にコーヒーショップ。カフェもあるけど店の種類が違う。居酒屋とバー、という話ではない。カフェは「喫茶店」。コーヒーショップはなんと「麻薬屋さん」である。マリファナ、スピードなど、比較的軽いドラッグを提供する店だ。オランダではこういったドラッグは合法なのだ。モルヒネやコカイン、エンジェルダスト、LSDなどのハードドラッグはもちろん禁止。しかし、軽いものだけ、とはいえ世界中でこことチューリッヒくらいだから驚くよ。町のちょっと裏通りに入れば必ずある。臭いんだから。その辺一帯が。悪臭、というのとは違うし、僕もたばこを吸うので嫌なにおいではないけど、他の国ではなかったにおいだから、最初は何かと思った。ガラム臭い、といえば分かる人は分かるだろう。町中でマリファナを巻いている人も2人ばかり見かけたな。誰も気にしてなかったけど。
1999.05.10 寒い国からやってきたスパイ
 寒い。最低気温2度くらい。スウェーデンの初日はなんと雪でした。ストックホルムからアネビーに向かう道はずっと雪。今日は止んだけど、まだ曇っていて寒さが厳しい。ストックホルムより南側のイョンシャオピンに近い場所なのに、標高が高いため北スウェーデンと同じ気候だそう。ぶるる。今日は一日CADルームに缶詰で、新しいアプリケーションのインストールから設定、使用方法までをお勉強していた。ずいぶん頭使わせてもらいました。久しぶりに。
 そしてさっきまで夕食に出掛けていたんだが、これがまた俺みたいな性格の奴には面倒だ。なにせ飯を食う相手がドイツ人×3、スウェーデン人×3、イタリア人×2なんだもの。もうテーブル全体(というより我々しかいなかったのでレストラン全体)が言語障害を起こしている状態。全員が分かる言葉は英語なんだけど、誰も彼も英語が母国語ではないので言いたいことの細かいニュアンスを伝えきれず、途中から自国語や聞きかじりの相手の言葉で話すわけ。俺はもともと知らない人が苦手な人間だから、ただ話すのも嫌なのに、一回一回の会話(というかセンテンスそのもの)がとても長くなる。具体的には説明できなくて残念なんだけどね。最初のウチは言葉(話)を知らない(分からない)ふりしてたんだけど、酒が入ってみんな乗ってくるとどうしても話が面白くなる。そうすると思わずツッコミ入れたり(<英語ね)、笑っちゃったりするもんだから会話に入らないわけにはいかなくなって ...。俺的には非常に疲れました。第一とにかく声がでかいんだよ、あいつら。体もだけど。
 明日はCADの実技講習だ。寝よう。お休み。
1999.05.11 スウェーデン人の住む家
 CADの実技講習を終えて、一旦部屋に戻った。今夜は取引先の社員が、自宅で夕食会を開いてくれるという。ずいぶん気を使ってくれるなー、と思った。だが、我々日本とイタリーへの輸出部門を担当している人なので、自分の担当している客が二ヶ国から来訪しているとしたら、ある意味、向こうの感覚ではそれくらい当然なのかも知れない。その家は我々が滞在している田舎町の、一番大きな住宅地にあった。俺にとっては初めての純粋な「ガイジン宅」訪問である。その家の主人も奥様も、ご両親からスウェーデン育ちの生粋のスウェーデン人の家庭である。
 家そのものは取り立てて大邸宅ではない。だが、約16畳のダイニング、12畳のリビング、子ども部屋、寝室と20坪程度の庭を持つ二階建てのその家は、親子4人で住む家としては十分な広さといえる。北欧らしく、全ての部屋は基本的にウッドフロアでところどころにカーペットが敷かれている。この辺りのほかの家と違うのは、玄関で靴を脱ぐことだ。我々を招待してくれた人は日本好きで、家の中では靴を脱いだ方が気持ちがいいし健康にも良い、という。だが客人に強制することはしないので、人前で靴を脱ぐことに慣れていないイタリーの2人は靴のまま上がっていた。
 食卓には日本の食事(料理)の感覚で考えると、ごくごくシンプルなものが並べられた。脂身のない豚肉とマッシュルームをスパイスとバターで炒めたもの、ジャガイモとホワイトクリームにチーズを乗せて焼いたもの、ロールパン、それにコーンと生野菜のサラダ。それだけである。一週間海外にいると、これが以外と旨いから不思議だ。
 その家の子ども達が、食事の途中で階下に降りてきた。二人とも黒い髪、茶色の瞳、それに薄い黄褐色の肌を持っている。これらの外観上の特徴は、そう、アジア系民族のそれである。彼らはもともとは韓国人だったそうだ。この国では養子を迎える家庭が非常に多く、俺の知っている家庭の内、半数が養子をもらっている。書いていて思ったが、日本語の「養子」とはだいぶニュアンスが違う。英語では adapted children と呼ぶ。こどもが出来ない家庭で、経済的に問題のないところはほとんど養子を迎え入れているのだ。経済的に裕福な家庭、ではないことを知っていてもらいたい。
1999.05.12 街に戻ろう
 午前中に今回の業務内容の最終確認をして、担当者ほか関係部署の人物にそれぞれ挨拶をし、ドイツ、イタリーの代理店にも別れを言って、彼らより一足先にこの小さな村を離れることにした。丘陵地帯を降りて北上、一路ストックホルムへ。約3時間半の道のりである。途中、あと30分程度で街に着くという頃、小さな湖のほとりのホテルに立ち寄り、コーヒーを飲んで体を伸ばした。4年前にも立ち寄ったところだ。テラスの目前には平らな湖面と豊かな緑が広がり、丸い雲がいくつも流れていく。とある先進国の最大の都市から車で30分、そういった土地である。そう考えると、その光景は以前ここを訪れたときに見たものとあまりにも変わりがなく、また自然そのものである。それはちょっとした驚きであった。
 そのあと、街のはずれの大きな家具店に立ち寄った。世界でも最大規模の家具製造会社の直営店で、ここも以前に来たことがある。全てがそうではないが、一部の商品はどこと比べても圧倒的に安い。例えば60ワットの電球が1個35円で、サブロク(3×6尺の略:90×180cm)の書棚が5千円で、それぞれ買えたりする。こういう単純な工業製品なら、実に安価に入手できる国である。日本に残る同僚たち(※女性のみ)にささやかな土産を見付け、自宅用に本とCDと、それからオーディオとを収める棚を選び、送ってもらう手配をした。
 「土佐」という、日本人の経営する寿司屋で夕食を摂った。まずい。これはスウェーデンに於ける日本のイメージの悪化を防ぐためと、なにより店の将来のために後日彼らに伝えるつもりだが、まずシャリがばらばら。粒が離れるとかいうのではなく、炊きあがり具合が粒ごとにバラバラなのである。恐らく蒸らしが悪いのであろう。それからにぎり。大きさが揃っていない上に、ネタの向きが踊っていて実に見苦しい。ネタも薄すぎる。基本的に大食漢のスウェーデン人向けとしても、その薄いネタに対してシャリがあまりにも多い。巻物は海苔が薄く、巻きが甘い。かっぱのきゅうりが生暖かい。ネタがべちゃべちゃで水っぽい。とどめには上がりに緑茶でなく番茶が出る。日本風の料理ではなく、日本で出るものこそが日本食なんだと初めて悟った。
1999.05.14 帰国
 今、帰りの飛行機の中でこれを書いている。ストックホルムを10:40に飛び立ち、オランダで乗り換えて、最終的には成田空港に15日の朝8:40ごろ到着する。時差があるので約14時間の行程である。ちょうどあと半分、あと7時間で日本に到着、というタイミングである。国際便は国内線よりも遙か上空を飛ぶので、飛んでいるあいだのかなりの時間が「晴れ」である。雲の上にいるからだ。今回の旅(?)は準備をする時間がほとんどなく、そういった意味で充実できなかった。行き先の国のことをよく調べていないから、何をするにも行動まで時間が掛かるのである。一人であることも条件としては辛い。「寂しい」とか何とかではなく、荷物から目を離さずに調査(道順、時刻表、価格など)をするのが難しいからだ。なんだか取り留めのない内容になってきた。日本時間午前2時。
 映画を3本見た。食事を2回摂った。合計14時間のフライトは、ヨーロッパと極東の物理的なもの以上に、文化的な距離を感じさせる。
1999.05.15 東京の街
 人が多い。色々な人から同じせりふを聞くことがあまりにも多くて、自分でも半ば無関心になっていたが、こうして帰ってくると本当にこの国(というより東京)には人が多い。何をしようにも並ばないことがまず無い。人を避(よ)けずに歩ける場所が無い。たかが8日間、海外にいた位で、と思うかも知れない。が、たかが8日間離れていただけで分かるほどなのである。そしてまた、この国のもう一つのことに気付く。ここの人々は他人に優しくない。どういう原因なのか、はっきり特定できないが、実はこの国は「不親切」であることが良く分かる。それは駅の看板の書き方だったり、どこかの店員の説明だったり、色々なところで感じられる。母国語を持ってしてさえもなお、分かりづらいし、聞きづらい。そして、言いづらいのである。日本を、日本語を否定する気はない。多分、教育制度による平均的な能力と知識が、それがあるという大前提が、人を快適にさせようというわずかな気遣いを不要なものだと思わせているのだろう。人によっても多少違うとは思うが、親切と不親切、その違いはさほど大きなものではない。ただほんの少し、気遣いが足りずに、そのボーダーラインを割っているだけのような気がしてならない。