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2003.05.19 改めて、次期戦闘機、決定!
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19時57分に、携帯が鳴る。着信番号を見ると関東マツダから。約束通り、店長が連絡をしてきたのだ。待っていたような、そうでもないような、複雑な気持ちの俺。チタンのスピリットAへの交換の件はどうなったのだろう?
「やっぱりダメでした。水・木のオークションまで待ってください。金曜日にまたご連絡いたしますので ...」という言葉を聞かされるような気がした。それを恐れて、俺は数秒間出るのを躊躇する。もしそうだったら何と返そうか、次はどういう提案をしようかと考えながら、意識して気持ちを落ち着けて携帯のフリップを開けた。
いざ電話に出ると、もうすぐに話の核心に触れたいと俺自身が思っていることに気付く。やきもきする俺の気持ちをあざ笑うかのように、いつも通り長々と丁寧な挨拶を続ける店長。しかし止めどなく流れるセリフに続き、その後に伝えられた思いがけない内容に、俺は一瞬、言葉を失った。「○○(俺の名字)様が購入されたのと全く同じ、未走行のタイプRバサーストを見付けて参りました」
まだそんなものがあったのか!「この2日間、夜も眠れないと申しますか〜それも何と言うかこれといったものがありませんで〜何とか探し出しまして〜オークションの出品リストというのが〜色はシルバーなんですが〜実はいま仙台にありまして〜予め見ることができるものも中にはですね〜私どもの手持ちにはやはり〜何とかお気に召すものはないかと〜」電話を終えてすぐに書いているのにこの有様。驚きのあまり、彼が何をどういう順で話したのかさえ覚えていない。店長のボイスマジック(笑)の効果と相まって、ほとんど向こうの伝えたい意志しか記憶に残らないくらいであった。それならシャシーとしては申し分ない。色は問わないと伝えてあったが、銀になったのは不幸中の幸いとも言える。いや、黒は確かに格好良いのだがなんせ汚れ(ホコリ)も傷も目立つ。ただ乗りっぱなしにしたい俺にはやや荷が重い色だったのだ。それに何より、やたらと周りの風景が映り込んでしまって写真を撮るのが難しい(笑)。
というわけで、俺の次期戦闘機は当初購入したのと同じ、6型FD3SのタイプRバサーストに決まった。色はサンライトシルバーメタリック。
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2003.05.26 別れの時
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色々と悩みの種になったとは言え、俺に「初めてのRE」を体験させてくれたマシンがいよいよ手元を離れる。わずか5ヶ月と10日間。半年に満たない短い期間ではあったが、嬉しくて首都高をグルグルと回ったり、峠を登ったり、信号でフル加速をしてビビったりと、俺に強い衝撃と感動を与えてくれたマシン。初めて内装保護のビニールを剥がしたのも、初めて競技専門のショップに持ち込んで改造したのも、初めて盗難防止の対策を施したのもこのマシンであった。だが悲しいかな、そのボディーは不治の病に冒されていた。
HY氏との約束で運転席だけはノーマルに戻しておく。あとの純正部品は車内に積み込み、引き取りの時を待つ。ショックASSY、デフ、クラッチ、ストラットタワーバー、ブレーキパッド、ステアリング、シフトノブ。1階とは言え傾斜地に立つ俺のマンションは、駐車場が2階のフロアよりも更に高いところにある。しばらく運動らしい運動をしていない俺にとっては、この純正パーツを運んで積み込むだけでも一苦労であった。これからこのFDは先方のサービス工場に運び込まれてノーマルに戻される。その後どうなるのか、修理をして販売されるのか否か、俺は知らされていないし知る権利もない。外されたチューニングパーツは一時的に保管され、新たなマシンが仙台から到着次第、サービス工場で装着される予定だ。地元の陸運局で名義変更されたニューマシンは、そうしてついに俺の元へ納車されるのだ。
これからも、俺は何台ものマシンを乗り継いでいくだろう。だがここまで不幸なマシンにはもう出会いたくない。マツダからは依然として不具合の原因についての説明はない。だが俺とこのマシンとが過ごした辛い日々が今後のマツダ車に活かされ、マツダにもそのユーザーにも小さからぬ利益となることを願ってやまない。高い理想を掲げて開発され、さらなる高みを目指して熟成を繰り返してきたマツダの、いや日本の自動車産業界の誇り。そしてその理想をユーザーに届けるにはあまりにも不完全な生産と販売品質に生命を断たれた不遇のマシン。その漆黒のボディーが今、明るい初夏の日差しをきらめかせて静かに走り去る。 − さようなら、俺のセブン。
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2003.05.26 約束
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車両を引き取りに来てもらったとき、車両の入れ替えに必要な書類 − 黒と銀の名義変更に委任状と印鑑証明を各1通、黒の譲渡証明書、車庫証明取得用の図面や車庫契約書コピー − をHY氏に託した。銀のセブンは、フルノーマルに俺のパーツを移植してETC車載器をセットアップ、アライメントを基準値に合わせて盗難防止の刻印も加工した状態で納車してもらう。クラッチカバー&ディスクとブレーキパッドはナラシで使うのがもったいない・シフトノブはノーマルの方が楽かも知れない・ステアリングはN規定の運用が曖昧でどうなるか分からない、というそれぞれの理由で、これらは黒から外したままパーツで返却してくれるよう頼んだ。HY氏からの提案でナラシの途中、交換用に新品のプラグを用意してくれるという。これは嬉しい。プラグコードもそれと同時に装着してもらえば良いので取り敢えずこれも返却してもらうことになった。
もう銀のFDは千葉の配送センターに回送されて来ているという。車庫証明を取得し直し、黒からパーツを外して銀に移植、黒・銀それぞれの名義変更をすれば車両の入れ替えは完了だ。納車日は6月6日。2週間でナラシを終えて、28日のパワトレMANIA、29日の神奈川戦から復帰の予定だ!
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2003.05.27 懸案事項、その2
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さて、車両本体の問題に解決の兆しが見えたところで、次はシートレールだ。もう読者の皆さんもお忘れかも知れないが、テトラクリエイトの社長さんのご厚意で、不具合のあるシートレールをそのまま新品に交換していただける、というところまでであった。その後、車体の方がどうなるか分からなかったため、テトラさんにもその通りに伝えて処理を保留してもらっていたのだ。
TETRXタイプ2は座面の幅が初代と比べてやや広がっており、これを選んだ理由は既述の通り一般走行時の使い勝手を考えたからである。しかし実際に競技走行をしてみると、やっぱり幅の狭い初代の方が良いような印象であった。実はテトラの社長にもそう相談し、もしタイプ1(初代)に替えるならレールはそれ用のものを代替品として出しましょう、と言ってもらっていたのだ。
俺は悩んだ。レールの代金は心配ないとしても、タイプ2を売りに出してタイプ1を買い直したらいくらの追加出費になるのか、果たして本当にそっちの方が良いのか?店頭での実売価格を考えるとTETRXのフルバケットはお世辞にも安い商品とは言えない。そもそも安いことをウリにして販売しようという意図がないのだから当たり前とも言えるが、買い直すにはやはり価格がネックだ。しかしTETRXの製品以外に買い直したら、今度はレール代がまた別途必要になる。どちらにしても、2〜3万円は更なる出費を強いられるだろう。
もうちょっとタイプ2で色々と試してみよう。以前ハチロクでもやっていたように低反発クッション等でパッディングをすればフィーリングも改善できるかも知れない。お店に電話したが繋がらず、社長の携帯を鳴らす。今度は繋がった。事件の経緯をおおまかに話し、車種も変わらないので同じ物を作ってくれるように依頼。代替品が出来上がり次第、こちらに連絡をくれることになった。
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2003.05.28 改造したい!
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次のクルマが決まったら、何だか急にそわそわとして落ち着かない。クルマ用品とか部品とか、そんなものが気になって仕方がないのだ。しかしタイヤは腐るほどあるし、洗車用品などは必要ない(笑)。というわけで早速パーツを物色し始めるあたりが俺らしい(笑)。とは言え、別に予算があるわけでもない。対策しないとならない部分があるわけでもない。言わば「代替車納品祝い」としての記念品みたいなもんである。お手軽で長期間に渡って効果の期待できるパーツはないだろうか?
せっかく車重の軽いタイプRバサーストだ。そのメリットを最大限に活かせるようなチューニングをしたい。N車両規定でカーペットとアンダーコートを除き内外装の変更や削除は許されない。変更しても良い部分で最も効果の大きいのは何だろう、と考える。ゴムブッシュしか使えないN車両でクルマの挙動をレスポンス良くドライバーに伝えるにはどうしたら良いだろう、と考える。俺の癖でもある踵(かかと)をフロアに付けないクラッチワークをハチロクの頃と同じように再現できないか、考える。ついでにもう一つ。「頻繁にジャッキアップ」してもジャッキポイントが変形しないようにするには何が必要か、考える。
バッテリー端子の変換アダプターを買った。ただバッテリーの端子に被せてサイズを変更するだけの簡単なパーツである。居酒屋1回分よりも安価なパーツだが、これでフロントオーバーハングを5kgも軽くすることが出来る。D23サイズのバッテリーをB19に変更したとき、端子のサイズの違いで車体側のハーネスが締め付けられなくなるのを矯正するものだ。図らずもまたRIGIDブランドである。そして更にお買い物は続く。次はリアストラットタワーバー。今回のお買い物では最も高価だが、それでも12,000円である。ノーマルでも付いてはいるが、これは適当なブラケットを適当なバーにボルトで留めてあるタイプ。剛性アップパーツとしては「無いよりマシ」と言う程度のものだ。そこでオーバルのスチールシャフトを分厚いブラケットに溶接してあるものを手に入れてみた。これは時間と体力と天候とセブンの積載能力(苦笑)に余裕があればMANIA7あたりでインプレッションが出来ると思う。次は待ってましたのクラッチペダルカバー。以前、中村社長の元を訪れたときにリクエストしていたパーツである。リクエストした以上は買わねばなるまい(^^;。ペダルの厚みが15mm厚くなり、少ない踏み込み位置でクラッチが切れる。別にストロークが変わるわけではないので一見、効果のほどを疑うパーツだが、これはハチロクの頃にも直感的に入手して大当たりだったパーツである。ハチロク時代、唯一のRIGIDブランドでもあった。そしてサイドシル対策(笑)。シザーズに取り付けるジャッキラバーだ。附属の金具を使えばプラスドライバー1本で取り付けも可能だが、そうすると最低状態での高さが上がってしまうし、同じ理由でせっかくのケースにも入らなくなる。ジャッキに元々付いている金具を外して交換してしまう予定である。これで凹む確率も少なくなるだろう。
とまあ、総額で22,000円程度の微妙なチューニングメニューだが、それだけの(いや、それ以上の)効果は間違いなくあると思う。N規定では許されてもいないが、例えばFRPボンネットも(最低でも)値段は同じくらいするし、元々アルミボンネットのセブンではせいぜい4kg程度しか軽くならないのだ。ノーズが5kgも軽くなるなら安いもんである。うーんと、つまりバッテリー変換アダプターだけを買うのが最もコストパフォーマンスが高い。 − ということに今更ながらに気付いたが時すでに遅し ...。
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2003.06.01 誠意への回答
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朝、見慣れない番号で携帯が鳴る。出てみると、清里ハイランドパークから。パワトレMANIA7および8の日程として予約していた2日間の貸し出しについて、社内で再検討しました、と声の主は言う。
騒音と臭いの問題で近くの宿泊施設等からのクレームが相次ぎ、ジムカーナとしての貸し出しを終了する、と連絡が来たのは5月5日。MANIA5&6を開催した翌日であった。その後、我々としてもなんとか継続開催できるよう様々な案を話し合った。走行しない時間を設ける、使用タイヤ種別を制限する、地元の観光協会と相談して宿泊前提の練習会(≒合宿)を基本にする、などである。しかし元々この会場でシリーズ戦や練習会を開催していたHORMSやシルエットでさえ打開策を見出せないなら、我々が何を提案しても同じだろう。それよりも他の会場にジムカーナというスポーツそのものの悪い噂(?)が流れないとも限らない。そう考えて、ここは静かに身を引くべきだと判断した。
「もう参加者を募集していらっしゃるとの事でしたので、練習内容をちょっとご検討いただいて...」と彼は続ける。要は始終スキール音が続き、タイヤスモークの上がる「セクショントレーニング」を止め、タイムアタックのみにしてくれ、ということらしい。こちらから具体的に何を提案したわけでもないのに、おおよそ考えられる範囲を的確に予想して誠意ある提案をしてくれた。だが残念ながらそれは無理だ。練習内容を変更するなら、わざわざあの会場で、他でもない我々が開催する意味がないから。
開催を検討してくれたこと、連絡をくれたこと、は非常に高く評価できる。そういう対応が出来る会場が、今後使えなくなるのは非常に残念だし、ジムカーナ界としても大きな損失である。だが我々としては既に別の会場を押さえていることもあり、練習内容の変更も難しいのでこの2回の開催は諦める。貴社の対応には感謝している。俺はそう伝えて電話を切った。せっかく組織的・人的に良い資産が揃っている会場も、周りからの圧力で使えなくなってしまう。なかなか上手くいかないものだ。いつかまたジムカーナ場としての利用を再開してくれることを願いつつ、清里ハイランドパーク/大泉清里スキー場の繁栄を祈るとしよう。
[勝手にPR]のコーナー
清里は東京から約2時間、名古屋からも3時間半という好立地。ソフトクリームを初めとする乳製品のみならず、富士の北に位置することで霧のない乾いた空気を満喫できる避暑地の決定版である。中でも清里ハイランドパークは冬季はボードもできる大泉清里スキー場として人気。近隣の宿泊施設も手頃な料金で歴史を感じさせるオリジナリティ溢れる食事と、満足のいく施設が多い。いま話題の八ヶ岳リゾートアウトレットでウィンドウショッピングを楽しみ、勝沼のワイナリーを見学、石和で温泉を堪能し、と盛りだくさんのプランも日帰りで充分楽しめる。何より標高1500Mという高原を渡る風の爽やかさ、おいしい空気。取り囲む数々の名山は威風堂々たる美しい眺め。ぜひ一度は体験してもらいたい。 → 清里ハイランドパーク
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2003.06.07 納車、再び
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せっかく納車してくれるというのに昨日は仕事で行けなくなってしまった。そして今日もクレーム対応のために休日出勤。朝から千葉の現場で打合せがあり、そのために5時半に起き出して早朝から車を飛ばした。何とか10時半頃には話をまとめて東関道を西へ戻った。さすがに疲労感があったので昼食だけはゆっくりと摂り、ついでに軽く1時間ほど仮眠した。
環状8号線の慢性的な渋滞に1時間ほど付き合わされ、午後3時前にようやく関東マツダ四面道店に到着。俺のマシンとなる銀のFDにやっとご対面だ。当たり前だが内外装ともに問題はない。ピカピカ。オドメータは190km。パーツも全て依頼した通りに移植され、嬉しいことにアライメント調整のデータシートも添付されていた。店はこれから明日に掛けて忙しそうだったので、礼を言って早々に引き上げる。まずは自宅へ戻って保管すべきパーツを全て部屋に運び込み、その足でナラシに出よう。環8を戻りつつ各部の感触を確かめる。ミッションは黒いマシンに最後に乗ったときと、ほぼ変わらない感触。つまり非常に具合が良い。ニュートラルから各ギアの位置へレバーをシフトする間の抵抗感は以前と同じようにやや重い。が、シンクロが回ってキーが吸い込まれる感じが明確にこちらの方が良いし、何よりシフトの初期段階で何かに引っ掛かるような感覚がほとんどない。クラッチもちゃんとミートポイントが分かる。黒の時は「ディスクの当たる感じ」が曖昧で、乗り出したときには正直なところ(こんなんで運転できるようになるのかな)と不安になるくらいだったし、結局5,000kmも乗ったのに最後まで「クルマが動くまでミートしたかどうか分からない」状態で、いつでもスナッチの嵐だったのだ。今度はハッキリとペダルを通じて伝わってくる。それが証拠にデフは全く同じ物が入っているにも関わらず、渋滞の中でストップ&ゴーを繰り返してもスナッチが全く出ない。良く注意してみるとアクセルON・OFF時のシフトレバーの振れも小さくなっていることに気付く。やはり鉄板一枚の影響は大きかったのだろう。別にまだ大きな負荷を掛けているわけでもないのに明らかに操作に対する剛性感が違う。ところがセオリーから外れて乗り心地はなぜか若干悪化したような気がする。特に路面の継ぎ目を通過する際に入ってくる衝撃が大きい。ただ、これは俺があまりにもロゴ(GA3)に慣れてしまったからかも知れない。と言うのは、ハチロクの記憶と照らし合わせればやっぱり今のFDの方がマイルドな印象だからだ。まだタイヤに負荷が入っていないということも影響しているだろうか。
途中、港北PAに立ち寄る。実は環8に出てすぐ、「このクルマに乗るに当たって、しなければならないのにまだしていないこと」を思い出したのだ。それは電話1本で済む用件なのだが、こういう時に限って携帯を忘れて出掛けてくる俺の心がけの素晴らしさよ。わざわざボトルのお茶を買って1万円札を崩し、久々にテレフォンカードを買う。ダイヤルして音声案内に従い2をプッシュ。オペレーターに繋がったら車検証を見ながら新たなクルマの登録番号と車体番号とを伝える。「この電話をお切りになった瞬間から有効になります」という声に挨拶を返して受話器を戻す。そう、保険の切り替えを忘れたまま、荻窪から港北まで走ってきたのだ。これは俺が無保険で走った最長距離かも知れない。
純正の車高調ASSY、デフ、ステアリングやシフトノブを自宅へ運び込む。ブレーキパッドは積んだままで良いとして、クラッチとストラットタワーバーは降ろすのを忘れてしまった。黒から積み替えられた荷物に加えてメンテナンスの記録ファイルとウエスだけを積み込み、いざナラシに出発。
東名高速を西へ下る。御殿場辺りまで行って富士山を回り、河口湖ルートから中央道を戻るプランだ。気を抜くと正圧側に飛び込もうとするブースト計の針をなだめながら車の流れに乗っていく。すこぶる快調。季節柄、空気にはやや湿気が多いが、そのお陰で大きく傾いた太陽のまぶしさも緩和されている。まだ走り出して間もないのに海老名SAに寄る。土曜の夕方、広大な敷地を持つ海老名SAは駐車スペースの半分以上が空いている。薄闇に差し掛かった柔らかな日の光もちょうど良い。納車記念に何枚か写真を撮った。スタンドで買ったホットドッグを食べて本線に戻る。2500〜3000rpmを守って行く。RX-7と見ると煽ってくる奴、反対にサッとよける奴、しばらく並んで走る奴、と様々な反応を見ながらのんびりと距離を稼ぐ。コーナーの続く山間部に差し掛かってもそのままのペースを保つ。物凄いスタビリティ。許された速度ギリギリを保ったまま、コーナリング中でさえ車線内でスラロームが切れる。225のノーマルタイヤなのに。こんなに良い足だったんだ、と再確認した。だからと言うわけでもないが、御殿場を降りてから予定を変更。R138を箱根方面へ。登りではアクセルを踏めない分、こまめにシフトしてミッションのナラシを進め、下りは強い横Gを伴ったスキーのダウンヒルのようなコーナリングを愉しみつつ行く。湯本から西湘バイパスに乗り、平塚からR1へ。東海道を遡って横浜新道、首都高神奈川線を経て湾岸線へ。C1を内回りに入って3号から東名へ戻った。
本日の走行距離は274km、累計464km。
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